大判例

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徳島地方裁判所 昭和41年(ワ)281号 判決

原告

徳田文一

原告

徳田幾代

右両名代理人

田中義明

外一名

被告

四国電力株式会社

右代理人

大西美中

外二名

主文

一、被告は原告ら各自に対し、ぞれそれ金一〇五万円およびこれに対する昭和四一年八月一五日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の、その余を原告らの各負担とする。

四、この判決は第一項に限り原告らにおいて各自金三〇万円の担保を供するときはその原告につき仮りに執行することができる。

事実

第一、申立て

一、原告ら

(一)  被告は原告ら各自に対し、ぞれそれ金三四〇万円およびこれに対する昭和四一年八月一五日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

(三)  担保を条件とする仮執行の宣言

二、被告

(一)  原告らの請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、主張

一、原告らの請求原因

(一)  本件事故の発生

原告ら夫婦の長男訴外亡徳田仁英(昭和一八年七月一二日生)は昭和三八年八月六日午前八時一〇分ごろ、自宅である徳島県那賀郡鷲敷町和食郷字南川六番、七番地上の木造瓦葺平家建居宅(以下本件家屋という)の屋上でテレビアンテナの付替作業中、右アンテナがたまたま被告会社の架設にかかる土地の工作物である同人所有の高圧電線(以下本件高圧線という)に接近または接触したためその場で感電転倒して即死した。当日亡仁英がこのような作業をした経緯は次のとおりである。すなわち、当時原告らと同居していた原告幾代の実父すなわち亡仁英の母方の祖父訴外徳田悦二はその頃徳島県海部郡日和佐町にあらたにNHKのテレビの受信局ができたので、これに応じて自宅のテレビの映像を従来より鮮明にするため近所の電機商訴外松田耕治にアンテナの付替工事を依頼していたところ、同人は当日早朝原告方に来た。亡仁英はその頃たまたま大学(私立千葉工業大学)の夏期休暇で帰省中で自宅にいたため、祖父悦二からこれを手伝うように言われ、直ちに本件家屋の屋根の上に長さ約3.7メートルのテレビアンテナを持つて上り、下で電波測定器を使つて感度の測定をする電機商松田に呼応して、直立させたアンテナを徐々に移動させていたところ、前記感電事故が発生したものである。

(二)  本件高圧線の設置保存の瑕疵

被告会社の本件高圧線の設置保存には次のような瑕疵があつた。すなわち、

(1) 本件高圧線の架設状況は別紙図面(一)のとおりであつて、県道と町道の交差点北西隅にある高さ約一三メートルの電柱(以下B柱という)と、本件家屋敷地の北に隣接する同所九番地にある高さ約九メートルの電柱(以下C柱という)との間約六〇メートルにわたつて直径五ミリの裸銅線を張り渡し電線としたもので、その電圧は六、〇〇〇ボルトの電圧であつた。しかして、B、C柱の位置と高さからみて、それはまさに本件家屋の上空を横断し、しかもその地表からの高さはC柱に近づくほど低くなつており、本件家屋の屋根付近ではその上僅か三メートルのところを走つている。

なお、本件高圧線架設に至るまでの経過について敷衍すると次のとおりである。すなわち、被告会社は大正一五年ほぼ現在の高圧線の位置に低高圧線を架設したが、これは低電圧のことでもあり、当時本件家屋の敷地は未だ畑であつた関係で何らの危険もなかつた。従つて、当時悦二の父(亡仁英の曾祖父)徳田俊太郎はその北側電柱(C附近にあつた)を設置するのに自己所有の九番地の一部を快く賃貸した。ところが、その後本件家屋も出来、付近の状況も変つた後である昭和三一年九月になつて、被告会社はC柱(昭和三〇年七月前記旧電柱を建替えたもの)に一五KVA単相トランスを取付け、電線を高圧線とし六、〇〇〇ボルトの高圧電流を送電しはじめた。しかして、被告は右昇圧工事にさいし、原告ら家族に対し何らそのことを通知せず、事後の説明もしなかつた。

(2) ところで、本件高圧線のように高度の危険性を伴う電線を人家に接近して、その上空を通過させる場合には、台風、落雷等の自然災害はもとより家屋の増改築、修繕、テレビアンテナの取り付け(ここ一〇数年前からテレビは一般家庭に遍く普及し、そのアンテナは通常家屋の屋根に取り付けられていることが多いことは周知の事実である。)等の作業に際しての危険を十分に配慮し、およそ人命や財産に損害を及ぼさないよう周到精密な注意を払つてこれを設置すべきが当然である。本件の場合は六、〇〇〇ボルトの高圧裸電線を人家の上僅か三メートルの位置に慢然張つていること自体危険極まりないことで、本件事故も起りうべくして起つたものである。附近の情況に照らすと、本件の場合は当然町道に沿つて架設すべきであり、またそれは可能であつた。さらに、本件高圧線のような危険物の設置(昇圧)については区域住民や通行人に認識しうるよう例えば「高度危険注意」というような標識を電柱に表示しなければ完全な設置とはいえない。

以上のとおりであるから、本件高圧線の設置保存に瑕疵あることは明白で、被告は本件事故によつて生じた損害を賠償する義務がある。

被告は「電気工作物規程」(昭和二九年通商産業省令第一三号)にもとづきC柱の碍子には赤色表示をなし、トランスにも赤色で「六〇〇〇V」の表示をしている旨主張するが、この程度の表示によつて電線が高圧線であると判断できるのは専門の電気工事関係者(主として被告会社の従業員)のみであつて、一般人は全くその危険性を認識できない。本件の場合は碍子の赤色表示は電柱にのぼつてはじめて了知することができる状態であり、また右「六、〇〇〇V」の表示もトランスが北面して設置されているため表の表示は北方にある畑に立てば見ることができるが、背面の表示は町道からよく注意して見れば認めうる程度のものである。また被告は本件事故発生前からラジオ、テレビの放送講習会を通じて一般人およびテレビ工事業者らに高圧電線の危険性につき注意を促し、指導に当つてきたと主張するが、そのようなことはなく、本件事故の発生があつて、その後暫くの間右のような措置をとつたにすぎない。さらに、被告は、本件高圧電線が裸線であるのは「電気工作物規程」に準拠した結果であり瑕疵とはいえない旨主張するが行政法規上被覆を要求していないからといつて直ちにそれが民事上の免責事由となるものではない。以上いずれにしても、本件瑕疵に関する被告の主張は認め難い。

(三)  損害

(1) 亡仁英の蒙つた逸失利益相当の損害と原告らの相続

亡仁英は本件事故当時満二〇歳(昭和一八年七月一二日生)、身長一七五センチメートル、体重七五キログラムの身体強健の青年で、千葉工業大学金属工学科二年に在学中であり、剣道の選手でもあつた。そして、もし本件事故なかりせば大学四年の課程を終え、昭和四一年三月前記大学を卒業し、卒業後は(旧)八幡製鉄株式会社技術研究所に勤務する訴外米崎茂(悦二の従兄の長男)の斡旋により右会社に就職する予定であつた。従つて、亡仁英は本来右就職の時から起算してその平均余命内において少なくとも向う四〇年間は就労し、その間平均月額四万円の収入があつたはずである。しかして、その間の亡仁英の生活費は一カ月一万円と考えるのが相当であるから毎月の純収入は三万円、すなわち四〇年間の純収入総額は一、四四〇万円となり、これをホフマン式計算法に従い年五分の割合で中間利息を控除して現在利益に引直すと四八〇万円となり、亡仁英は右相当額の損害を蒙つた。なお、前記月収額四万円の根拠は、労働者労働統計調査部賃金構造基本統計調査「賃金センサス」昭和四三年別巻学歴別初任給によれば男子労働者で新規卒業の者の初任給は平均月額三万〇、六〇〇円、同統計同年第一巻全国個人別賃金産業大分類によれば大学卒の男子労働者は平均年令23.8歳平均勤続年数1.3年で平均給与月額三万六、八〇〇円、平均年令54.4歳、平均勤続年数15.4年で平均給与月額一一万〇、一〇〇円であることから、昇給を勤慮に入れない最少限度を考えたものである。

原告らは亡仁英の両親であるから右損害賠償請求権について、それぞれその二の一すなわち二四〇万円ずつを相続した。

(2) 慰藉料

亡仁英は昭和一八年七月一二日当時の満州国チチハルで出生した原告ら夫婦のかけがえのない長男であり、原告幾代は終戦直後当時三歳の仁英とその弟泰久(昭和二〇年一〇月一一日生)を伴い死線を越えて内地へ引揚げてきた経緯もあつた。しかし、亡仁英はその後預調に成長し、親思いの真面目な青年となり、身体も普通人以上に健康で、学業成績も他の弟妹らに比べ優秀であつたから、原告らはもとより家族一同将来を楽しみにしていた。しかるに、仁英は本件事故により一瞬のうちに死亡した。原告らの痛恨はまさに、筆舌に尽し難いものがあり、その苦痛に対する慰藉料はそれぞれ一〇〇万円をもつて相当と考える。

(四)  よつて、原告らは被告に対しそれぞれ前記三、(1)、(2)記載の損害金合計三四〇万円およびこれに対する本訴状の送達の翌日である昭和四一年八月一五日以降支払いずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

なお、被告は、仁英は(千葉)工業大学の学生であつたから本件電線が高圧線であることを平素から知つていたはずで作業にさいしては当然そのことに注意すべきであつたと主張するが、仁英は本件事故発生当時は同大学金属科二年に在学中で、いまだ一般教養科目の履修中であり、何ら電気工学の専門教育を受けていたわけではないから、とくに電気について知識があつたわけではなく、また現に本件高圧線の危険性を知らなかつた。もし、知つていたのであれば、事故前詳細に注意、打合せをしていたはずである。

二、被告らの答弁

(一)  請求原因第一項(本件事故の発生)のうち、本件事故発生に至るまでの経過すなわち日和佐町にNHKのテレビ受信局が新設されたので悦二が自家のテレビの映像をよくするため、電機商松田に依頼してアンテナの付替工事をすることになり、悦二の言いつけで亡仁英がそれを手伝うようになつたとの経過は不知、その余の事実は認める。

第二項瑕疵の存在の、本件高圧線の設置状況のうち本件高圧線と本件家屋の屋根との間隔が三メートルであるとの点は否認するがその余は認める。右間隔は3.7メートル以上あつた。本件高圧線架設までの経過も不知(なお被告会社は昭和二六年に設立されたものである)。被告はC柱を設置するについては悦二からその設置場所を賃借し、同人の承諾を得て設置したものである。またC柱を設置することになつたのは悦二の土地に和食劇場が設けられたからで、むしろ悦二の要請によるものであつた。その余の事実は争う。

第三項(損害)の事実は争う。

(二)  本件高圧線の設置保存には何らの瑕疵はない。

すなわち、被告会社は電線の設置につき昭和二九年通産省令第一三号電気工作物規程(以下、単に規程という。これは昭和四〇年通商産業省令第六一号電気設備技術基準の制定に伴つて廃止されたが、内容はほとんど引き継がれている。)の規制を受けているので、右規定に照らし、瑕疵の有無を検討してみると次のとおりである。

1 六、〇〇〇ボルト高圧電線路の家屋上通過について高圧電線路が家屋上を通過することを禁止した規定は全くなく、かえつて、規程第六八条は、家屋上を通過する場合の電線の強度および、電線と営造物との離隔距離を定めていて、高圧電線路の家屋上通過を当然のこととして認めている。

電線の強度離隔距離が適切であれば、危険はないからである。それは、三、〇〇〇ボルトであると六、〇〇〇ボルトであるとによつて差異はない。

本件電線路は従来三、〇〇〇ボルトであつたものを、昭和三三年一一月五日に六、〇〇〇ボルトに昇圧したものであるが、六、〇〇〇ボルト昇圧については、昭和三四年一〇月一日付で、通商産業省公益事業局長から全国各電力会社社長宛に、高圧電線路の六、〇〇〇ボルト昇圧を推進し、昭和四九年三月三一日までに全回線の昇圧を完了するよう通牒されているであつて、高圧電線路の電圧は六、〇〇〇ボルトが普通である。

従つて、この点について本件電線路に何ら瑕疵はない。

2 高圧の表示について

規程第五三条第二項によれば、高圧架空電線路には、その碍子の表面の見やすい部分巾1.5センチメートル以上を又は腕木の表面を赤色とすべきこととされているが、本件電線路のがいしには規定どおりの赤色表示をしており、また、和食線第一七〇号北一号柱(C柱)の変圧器には六、〇〇〇ボルトの表示をしていた。

3 裸硬銅線の使用について

規程第六八条第一号によれば高圧架空電線路が建造物の上空を通過するときは、直径3.5ミリメートルの銅覆鋼線またはケーブルを使用する場合を除いては、直径五ミリメートルの硬銅線またはこれと同等以上の強さおよび太さのものを使用すべきものとされている。右規程にいう硬銅線は裸線を基準としているのであるが、それは、空気も立派な絶縁物であるから、建造物から十分な離隔距離をとつておれば危険がないのみならず、被覆線を用いても、被覆物の垂下等によつて却つて危険な場合があるからである。

本件電線は直径五ミリメートルの裸硬銅線を使用していたから何ら瑕疵はない。

4 電線の地上高について

規程第六三条第一項によれば、高圧架空電線の高さは道路横断の場合は地表上六メートル以上、その他の場合は五メートル以上でなければならないとされているが、本件では、和食線第一七〇号柱(B柱)において10.05メートル、C柱において8.0メートル、両電柱間隔約六〇メートル、弛度0.3メートルであるから、全く瑕疵がないのみならず、本件事故は地上で生じたものでないから、地上高を問題にする必要もない。

5 電線と家屋上部との離隔距離について

そこで、本件の焦点は専ら本件電線と本件家屋の上部との離隔距離が適当であつたかどうかにしぼられる。規程第六八条第四号イによれば、かかる場合高圧電線は家屋の上方二メートル以上に保持されるべきこととされている。それだけの距離があれば人が屋上に出ても容易に電線に触れるおそれがないからである。

本件電線は家屋の上部尖端から3.7メートル以上もあり(人がその尖端上に立つことはできないから、実際には四メートル以上あつたことになる。)、これは規定の約二倍にも相当し、人の触れるおそれの全くない十分な離隔距離である。

なお、本件事故後、被告会社において、本件電線をしめなおして、たるみをとつたことはない。

以上いずれの点からみても、本件電線路の設置保存には全く瑕疵はなかつた。

(三)  むしろ、本件事故は専ら仁英らの不注意によつて生じたものである。

本件電線路は、前述の如く全く瑕疵なく、一見高圧電線路であることが認められる状態に設置、保存されていた。悦二はC柱の立替え作業のとき、その現場でそれを見ており、またC柱にトランスを据付けるときも現場に居合せていた。そして右トランスには前記六、〇〇〇ボルトの表示が赤書されているが、それは特に隠蔽しないかぎり当然に見える状態にある。したがつて悦二は立替え現場で右表示を見ているはずであり、松田は電気器具販売商であるから当然両名は本件電線が高圧線であることを知つていたはずである。そうでなくても人が金属棒をもつて電線に接触させれば、感電し、死亡する場合のあることは、今日では常識として、小、中学生でも知つていることであるが、とくに千葉工業大学の学生であつた亡仁英、テレビ商であつた松田、長い社会経験をもつ悦二はその学識、経験上から、いずれも右のことを熟知していた筈である。しかも、被告会社が従来から電気の安全に関し、ラジオ、テレビ放送、講習会を通じ、一般人およびテレビ業者等に対し、注意を喚起し、指導に当つてきたことは、周知の事実である。

従つて、松田を手伝つて作業した仁英、仁英に手伝わせた松田、および仁英に対し、松田を手伝うよう命じ、かつ、現場にあつて仁英の行動に対し指示を与えた悦二らには、仁英の本件行為が電線に接近してゆく危険なものであることにかんがみ、行為者には安全用具を用い動作を慎重にさせるとともに、これに監視をつけて万一にも危険を生じないようにする義務があつたのである。しかるに、仁英は本件家屋上にはだしで上り、素手で長さ約3.7メートル、重さ約5.5キログラムもある重心の不安定な金属製テレビアンテナ棒を持ち、これをまつすぐに押し立てて、足場の悪い瓦屋根の上を必要な注意も払わずに歩き、悦二および松田は、これに対し必要な指導をなさずかつ監視を怠つたため、右テレビアンテナ棒が本件電線に接触したのである。

これは、通常では到底接触することのないよう安全に設置してある電線に、長い金属棒を持つて来て、ことさら接触させた自殺行為にも等しい暴挙であつて、その責任は専ら死亡した仁英が負うべきものである。

第三、証拠〈省略〉

理由

一訴外徳田仁英(昭和一八年七月一二日生)が昭和三八年八月六日午前八時一〇分ごろ自宅である本件家屋上においてテレビアンテナの付替作業中たまたま所持していたアンテナが被告会社の所有設置にかかる本件高圧線に接触または接近したため感電し、因つて即死したことは当事者間に争いがない。また、被告会社の右高圧線が民法七一七条所定の「土地ノ工作物」に該当することも、それが地上の支持電柱と一体となつて機能を果している点を考えると明白である。

二そこで、本件高圧線の設置保存につき瑕疵があつたか否かについて判断する。

(一)  まず、本件高圧線(但し、正確にいうと後述のとおり二本が平行して張られている)が電圧六、〇〇〇ボルトの高圧電気を流す直径五ミリの裸銅線であることは被告も自認するところである。

そこで、すすんで、本件高圧線と本件家屋との位置関係、本件事故発生当時の状況等について検討する。

〈証拠〉を綜合すると次の事実が認められる。すなわち、

(イ)  本件高圧線と原告ら方本件家屋との位置関係はおおむね原告ら主張のとおり(別紙(一)図)であるが、これをより正確に平面、側面の二図に現わすとほぼ別紙(二)図のようになる。すなわち、本件高圧線を支えるB、C柱の直線距離は約六〇メートル、B柱の地上からの高さは一三メートル、C柱のそれは8.6メートル(検証の結果にB柱の高さ9.95メートルとあるのは、本件高圧線を支える腕木までの高さ)あり、BC柱の間を走る本件高圧線二本は相互に水平距離約0.8メートルの間をおいてほぼ平行に走つており、双方とも特段のたるみは見受けられなかつた。

しかして、本件高圧線の本件家屋上空での高さは、東側の一本は屋根の棟瓦(すなわち家屋の一番高い位置)から3.82メートル、西側の他の一本のそれは3.72メートルであり、両線ともC柱に近い程低く下つていく関係にある。

次に、本件高圧線の果す役割をみると、本件家屋南側を東西に走る県道上の高圧線(幹線電線路和食線)がB柱で一部分岐してC柱に走り、C柱にある変圧器によつて減圧されて家庭用低圧電線につながる仕組になつており、これを要するに、BC柱間の本件高圧線は県道上を走る幹線といわば同格のもので、引込線の都合上BC柱間のみ一部分岐した形になつている。なお、両柱の碍子には高圧線であることを表示する赤線一本が入れられており、C柱の変圧器には「六、〇〇〇V」の表示もしてある。

なお、念のため、本件高圧線が架設された経過をみるに、もと本件家屋の敷地(六番、七番地)は畑であり、その北側にある九番地(亡仁英の曾祖父徳田俊太郎の所有地)に和食劇場ができたためB柱からC柱付近の旧電柱にかけて電線が引込まれていたところ、その後昭和二九年一二月になつてその電線下に原告文一所有の本件家屋が新築された。その後、いつの頃からかBC間の電線には三、〇〇〇ボルトの高圧電気が送電されていたが、被告会社は昭和三三年一一月五日になり政府の昇圧化方針に則り、旧電柱をC柱と立替える(旧柱とC柱との間約1.2メートル)とともにBC間の送電線も六、〇〇〇ボルトに昇圧した。これが本件高圧線である。

(ロ)  当日原告家では早朝から原告主張のとおりの理由により電機商松田耕治によつてテレビアンテナの付替作業が始められ、原告幾代の実父悦二は夏休みで帰省していた亡仁英とその弟泰久(昭和二〇年一〇月一一日生、当時高校生)にその手伝いを言いつけた(悦二は付替作業には補助者が要ることを聞いていたので、仁英兄弟にこれをさせるつもりで、わざわざ工事の日を夏休みに合わせた)。そこで、まず、仁英と泰久が屋根に上りアンテナを徐々に移動させ松田が下で感度測定をしながら感度のよい好位置を定める作業をする段取りがきまり、よつて、仁英が本件家屋の東西線をなす屋根の西端に素足で上り、松田の指示によりアンテナを直立させて徐々に東に、すなわち本件高圧線直下の方向に向つて移動しはじめ、やがて本件高圧線直下付近に至るやアンテナ上部、正確には支柱上端から約四〇センチメートル下の部分が本件高圧線(多分二本のうちの西側の一本)に接触し、仁英は一瞬感電して大声をあげその場に転倒死亡した。仁英が支え持つて移動させたアンテナは支柱の全長3.67メートル、その先端で横に張つたアンテナの横巾2.17メートル、重量約5.5キログラムある、当地方で通常使用されている型の金属性のものであつたが、結果からみて、本件家屋の屋根上で人がこれを持ち歩けば本件高圧線に優に接触感電することが可能であつた(なお、以上の結果によると、仁英は感電のさいアンテナを屋根上約四五センチメートルにあげて支え持つていたこともわかる)。事故のさい、祖父悦二は下で松田の感度テストに気をとられており、弟泰久は仁英と一しよに屋根に上つたが特に仁英の作業を手伝うこともなく離れていた。しかして、仁英はもとより松田をはじめ悦二、泰久らはいずれも仁英の作業にさいし本件高圧線の存在について注意する者はいなかつた。当日は朝から晴天で暑かつた。

以上の事実が認められ、他に右認定事実を左右すべき証拠はない。

(二)  以上の事実関係殊に(イ)の認定事実によれば、本件高圧線は人がこれに接触すれば一瞬に生命を失うこと必定ともいうべき六、〇〇〇ボルトの高圧電気を通す直径五ミリの裸銅線で、その存在自体危険極まりない電気工作物である(被告会社を規制する電気工作物規程三条によれば「高圧」とは交流にあつては三〇〇ボルトを超え七、〇〇〇ボルト以下を、指すものとされており、六、〇〇〇ボルトがそのなかでも高圧であることがわかる)ところ、これが本件家屋の直上屋根の上端から3.72メートルのところを横切つているものであること及び仁英は前記のような状況でこれに接触死亡したことが認められ、かかる裸高圧電線がかかる位置をかかる高さで横切つていることは仮令その電線に当面特に不時不測の切断垂れ下り、腐蝕等の異常状態がない場合でも(これを「瑕疵」というのはたやすい)、台風、落雷等の自然現象、家の火事その他本件の如き人為現象のことを考えると、そのような架設自体極めて危険なものといわばならない。殊に、本件高圧線は本来県道に沿う幹線高圧線(和食線)と同格扱いをすべき筋合で、他人家屋の上空直近を通過することはかなり例外的な配線の仕方でいわば特殊例とでもいうべきである点、本件高圧線の場合、原告家東側の南北町道にそつてこれを架設することもさほど困難ではなかつたと思われる点等に思いを至すと設置所有者の責任をしかく簡単に看過することは困難である。また、本件の場合は特に以下のような事情を他の一般高圧電線架設の場合と異る特別の事情として理解配慮すべきである。すなわち徳島東部海岸地方では一般家庭がテレビをみる場合、海を渡つてくる大阪(生駒山)からの電波を直接キヤツチするため屋上に三ないし六メートルぐらいの高いアンテナを設置するのが常識で、鷲敷町では従来地元発信のNHKの電波すら感度不十分であつたわけで、いきおい高いアンテナを設置することが必要で、屋根上少くとも四メートル前後の高さまでは当然人が使用すべき範囲の空間といつて差支えなく、現に当地方の人家を俯瞰すると屋根の上に長いアンテナが林立している状況であり、以上の事実は当裁判所に顕著な事実である。これを要するに、他は知らず、本件地方についていえば、屋根の直上四メートル前後ぐらいの高さはその家の通常の支配下に属する空間ということができるのであり、その範囲内に本件の如き裸高圧線が配されていることはそのこと自体客観的に危険な情況というに十分である(換言すれば、仁英の作業は被告のいうように自殺行為に等しいときめつけるわけにいかないのである)。以上のような諸点のほか、本来、損害賠償責任の理念本質は、個人の自己責任(過失責任)の規範原則を超えて、無過失責任または損害の社会負担の問題として理解されるべき点を含み、いわゆる工作物責任を定めた民法七一七条はまさに右理念に適う規定とみることもできる点等を彼此綜合すると、結局本件裸高圧線はその存在自体その位置関係殊に本件家屋との近接状況との関係においてその設置保存に瑕疵があつたと言うべきである。(但し、右瑕疵の程度すなわち違法性の程度の大小の問題が別論であることはもちろんで、この点は過失相殺の段階において当然考慮されるべきものである)。そして、本件死亡事故は右瑕疵に因つて生じたものと認めることができる。

被告は、仁英の所為を自殺行為に等しい旨主張するが、それが同人の過失をいうのであれば格別(後述)、いわゆる不可抗力の抗弁(すなわち、瑕疵の存在と事故の発生との間の因果関係の不存在)をいうのであれば、右主張が失当であることは前記説示によつて明白である。すなわち、本件の場合屋上での仁英の作業をしかく異例の、予想し難い無茶苦茶な所為とは到底認め難い。

また、被告は、本件高圧線の架設については何らの準則違反(すなわち電気工作物規程違反)はないから当然その瑕疵も認められない旨主張し、現に本件高圧線の架設状況中に右規程に明白に牴触する点のないことは右主張のとおりである。しかし、かかる行政上の取締規定違反がないことの故に直ちに民法上の工作物責任を免れるわけのものでないこともちろんで、右規程は電気事業者の「最少限の」安全基準を定めたものと解すべきものであり(同規程一条参照)現に被告も重要論点であると指摘する同規程六八条四号にしても「高圧架空電線と建造物との離隔距離は常に左の値以上に保持すること」と定めており、安全基準自体もその文言に徴し規定に適えば足りるといつてすませうる筋合のものではないことを示している。この点に関する被告の主張も失当である(のみならず、前記六八条四号は前記文言に続き「イ、建造物の上部造営材とは、その上方において二メートル、側方または下方においては一、二メートル」と定めているところ、右にいう「上部造営材」はその六七条一項四号イによつて「屋根、ひさし、物干台、その他建造物上面の造営材」と定義されており、屋根に固定設置され終つたアンテナを右造営材に含めうる余地も十分あり、そうすると本件の場合は造営材設置直前のことであり、また高圧線設置後の爾後的情況変化に属する―なお、この点について大判昭一二・七・一七参照―ことではあるが、果して、右安全規準にすらしかく明白に合致しているかどうか疑念がないではない。六八条一項本文、同項七号に「アンテナ」について別に定めていることも必らずしも右解釈を排斥するものではない)。また、被告は、裸の電線である点も規程で禁止しているわけでなく、かえつて、被覆ある場合の方が垂れ下り等の危険が多い旨も主張しているが、本件の如き場合被覆の瑕疵を慮つての議論はいささか強弁のそしりを免れず、現に本件の場合(工作物責任を完全な結果責任と断ずるわけではないが)本件高圧線に被覆を施しておれば事故を免れていたであろうことは何人もこれを争いえないところであり、かかる配線状況の場合はなおさら裸線であることをもつて何ら設置保存上問題がないと断言することは困難である。以上いずれにしても被告の本件瑕疵に関する主張はにわかに首肯できない。

三よつて、すすんで原告らの蒙つた損害について検討する。

(一)  亡仁英の得べかりし利益相当の損害金の相続

(イ)  〈証拠〉によれば、仁英は本件事故当時満二〇歳(昭和一八年七月一二日生)で、千葉工業大学二年に在学中の健康な男子であつたから、もし本件事故なかりせば右大学卒業後はたして原告ら主張のように八幡製鉄株式会社―現新日本製鉄―に就職できたかどうかは別として少くとも技術職員として会社に就職し、その平均余命50.18年(厚生大臣官房統計調査部編第一二回生命表参照)の範囲内で大学卒業後四〇年間すなわち昭和四一年四月から四〇年(四八〇カ月)間就労したであろうことを推認するに難くない。しかして、右就労期間中の月収が期間を通じ平均四万円を下るものでないことは近時の貨幣価値の変動情況に照らし、いわゆる賃金センサス等の統計資料に拠るまでもなく明白である。しかし、右収入を得る期間中の生活費は経験則及び政府の自賠保障事業損害査定基準とその運用(最高裁事務総局編「交通事件関係資料」一〇六頁備考欄2参照)に照らし収入の五割程度とみるのが相当であるから、結局、亡仁英の得べかりし純収入は少くとも一カ月二万円はあつたと認めることができる。そしていまこれをホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して事故発生当時における現価に換算すると別紙のとおり金五、〇二六、六四〇円となることが計算上明白である。

(ロ)  しかし、ひるがえつて考えてみると、本件事故の発生については、被告の工作物責任もさることながら、亡仁英もまたその不注意の責めを免れないことは前記認定事実に照らし明らかである。すなわち、亡仁英及び過失相殺については被害者側と目すべき祖父悦二はいずれも本件アンテナ取付工事のさい自宅上空に架設された本件高圧線の危険性については全くこれを意に介さず、これなきが如く振舞つたといわれてもやむをえないものである。しかして、一般に電線が危険であることは周知の事実であり、本件の場合も自宅のことでもあり、一寸注意さえすれば、事故は未然に防止できたと考えられ、この点の同人らの過失は相応にしんしやくされなければならない(当日朝日のため電線が光つてみえなかつたというような原告側の証人の供述は弁解としか受け取れない。なお、本件の場合、松田を被害者側とみるのは適当でない)。

しかして、工作物責任の場合の過失相殺の割合を決することは必らずしも容易なことではないが、本件の場合は、被告側の問責される瑕疵が一般に観念されるような電線の切断垂れ下り、腐蝕等異常状態の存在を内容とするものでないのに対し、亡仁英側の過失は前記のとおりかなり重大である点その他諸般の事情を綜合すると損害額のほぼ七割はこれを相殺すべきが相当で、これによると亡仁英の逸失利益相当損害金は結局のところ一五〇万円と考える。

(ハ)  そうすると、原告らは亡仁英の共同相続人として(亡仁英に妻子がなく、原告らがその両親であることは甲第一号証により明白)前記損害賠償請求権の二分の一ずつ、すなわち七五万円ずつを相続により承継取得したものである。

慰藉料

〈証拠〉をまつまでもなく、原告ら(文一は大正五年生、幾代は同八年生)がその長男仁英を、終戦後の混乱期を通して(原告ら一家が満州引揚者であることはその主張のとおり)やつと大学生までに育てあげたにもかかわらず、本件事故の如き一瞬の出来事によつて失つたその悲しみはもはや多言を要しないところである。原告らにはなお三人の子がある(前記泰久、貴則―昭和二五年生―、千鶴代―昭和二七年生―の三人。甲第一号証参照)とはいえ、本件事故に因つて蒙つた精神的苦痛は多大である。そこで、その慰藉料額について按ずるに右事実と前認定の本件工作物の危険性、設置における瑕疵の態様、程度、亡仁英側の過失の程度、その他本件全証拠によつて認められる諸般の事情を綜合すると、原告らの請求しうべき慰藉料は各人につき金三〇万円が相当である。

(三)  以上のとおりであるから、被告は原告らに対しぞれそれ前記損害額合計金一〇五万円とこれに対する事故発生の後であること明らかな昭和四一年八月一五日から支払いずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

四よつて、原告らの本訴請求は右の限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九二条、九三条一項本文、仮執行の宣言につき同法一九六条をぞれそれ適用して主文のとおり判決する。(畑郁夫 葛原忠知 岩谷憲一)

別紙〈略〉

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